「グランプリ女優」京マチ子さん ハリウッド映画ケリまくっていた

本紙のインタビューに答える京マチ子さん(1981年7月)

 映画「羅生門」や「雨月物語」に出演し、国際的評価も高かった女優の京マチ子(きょう・まちこ、本名矢野元子=やの・もとこ)さんが12日午後0時18分、心不全のため東京都内の病院で死去した。95歳だった。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。出演作が相次いで海外の有名映画祭で受賞、「グランプリ女優」と呼ばれた京さんは、一度だけアメリカ映画に出たことがある。この作品でもゴールデン・グローブ賞主演女優賞にノミネートされるほど高い評価を受けたのだが、本人は嫌々ながらの出演だったとか。

 大阪松竹少女歌劇団に入り、戦後、ダンサーとして人気を集めた。

「芝居よりも音楽と踊りが好きだった」(在阪映画関係者)という京さんは、日本だけでなく世界でも絶賛された大女優だが、実は当初、それほど女優という仕事をやりたいわけではなかったという。それでも大阪松竹少女歌劇団在籍中に映画に出たことでその楽しさに目覚め、1949年に大映に入社した。

 大映で女優に専念するようになった時は、すでに25歳。いまでもそうだが、当時としては異例の遅さだった。「女優としてのスタートが遅いと本人も自覚していたせいか、常に謙虚でどんな役でも真剣に取り組む人だった。スタッフも『あんなマジメな人は見たことがない』と言っていた」と言うのは映画関係者だ。

 そうした中で出会った作品が、ベネチア映画祭で最高賞の金獅子賞に輝いた黒澤明監督の「羅生門」(50年公開)だ。この作品は平安時代の乱世が舞台だが、京さんは最初のカメラテストに眉毛を剃って現れたという。

「平安時代の武士の妻を演じるということで、現代とは違う表情を出そうと京さんは、いきなり眉毛を剃って現場に行った。黒澤監督は当初、この役を原節子さんにしようと思っていたが、この姿を見た瞬間に京さんに決めたそうです」(同)

 この「羅生門」をはじめ、53年にはベネチア映画祭で銀獅子賞を受賞した溝口健二監督の「雨月物語」、54年のカンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した衣笠貞之助監督の「地獄門」に出演するなど、海外の映画祭で次々と賞に輝き「グランプリ女優」と言われた。

 そんな京さんには当然、海外からもオファーが殺到した。そうして出演したのが56年のハリウッド映画「八月十五夜の茶屋」(日本では57年公開)だ。

「でも京さん本人は英語が全く分からないから、『絶対に出たくない』と断り続けてきた。この作品も断ったつもりでいたが、アメリカに行った際に大映の永田雅一社長と食事に行ったら、そこにいたのがダニエル・マン監督や俳優のマーロン・ブランドら。それが顔合わせで、すでに京さんの出演は決まっていたんです」(同)

 結局、「八月十五夜の茶屋」でも、ゴールデン・グローブ賞の主演女優賞にノミネートされるほど高い評価を得た。だが海外の映画に出演したのはこの作品だけだった。

「オファーはたくさんあったが、やっぱり本人が乗り気じゃなかったんでしょう。でもあんなに出演作品が海外で高い評価を得た女優はいない。もし本人が海外の作品に興味があれば、野球のイチロー選手みたいに、アメリカで活躍する日本人の先駆者になれたでしょうね」(同)

 その後も市川崑監督の「鍵」、小津安二郎監督の「浮草」(ともに59年公開)など、多くの話題作に出演。大映映画の黄金時代を築いた。

 映画だけでなく、人気時代劇の「必殺シリーズ」などテレビ女優としても大活躍した京さんが、「昭和で最も偉大な女優」の一人だったことは間違いない。

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