落語家・桂米團治さん 米朝は稽古が終わると飲ませ上手になり…

桂米團治さん(C)日刊ゲンダイ

【今だから語れる涙と笑いの酒人生】

 人間国宝・3代目桂米朝の長男に生まれ、19歳で父親に弟子入り、2008年に父親の師匠の名跡「米團治」を襲名し、上方落語を盛り上げている。昨年から父が設立した「米朝事務所」の社長としても奮闘する。そんな米團治さん(60)も米朝に似て酒が大好きだ。

  ◇  ◇  ◇

「らくだ」「替り目」「親子酒」「試し酒」「一人酒盛」……。まあ~酒の噺って多いです。噺家と酒は切っても切れません。僕も。欲しい時に欲しいだけ飲みます(笑い)。体の指令に敏感に応じて飲むんです。それで週に1日ぐらいは飲まない日があります。飲むのはその日の気分や料理で日本酒、ワイン、紹興酒……。醸造酒が好きですね。ワインはフランスのブルゴーニュ地方のが、造られた年代や畑によって違いがあって面白い。

 銘柄はモンラッシェ、ムルソー……。日本酒もその土地の風土で醸された味わいがあって、旅先でいただくと高座に反映されますね。おいしい日本酒に合えたらうれしい。好きな銘柄を挙げたら際限がありません。和歌山の黒牛、滋賀の喜楽長、福井の黒龍、佐賀の東一、富山の羽根屋……。キリッとした辛口がいい。

 でも、本当にお酒をおいしいと思って味わえたのは43、44歳で初めて東京で独演会をやった時です。それから4年前に父親の米朝が亡くなってから。気持ちの問題かもしれませんね。亡くなるまではずっと米朝付で、常にオヤジの面倒を見なくてはいけませんから。自分が酔いつぶれるわけにはいかない。周りにも気を使うんです。お座敷に行ったら踊りを踊ったりして演じる方に回りますし。

■最近は3軒目から記憶がなくなる

 最近は飲むと3軒目から記憶がなくなる。オンナの子にすごく大きなプレゼントをしてやる! というようなことを言っちゃうらしいんです(笑い)。次に会った時に指摘されて慌てます。よくよく考えて思い出したら有言実行しますが、思い出せなかったらごめんなさい、ということもあります。これは信用なくしますのでいけませんね。

 ただ、逆手にとってないこと、ないこと、言われてひっかけられる可能性もあるから要注意。飲んだ翌朝、妻に「あんた、昨日、言ったこと覚えてる?」と言われるとドキッとします。一瞬「昔のオンナの名前を言ったんやろか」とか、あれやこれやが浮かんできたりして(笑い)。

 飲み始めたのは小学生の頃。オヤジのお弟子さんらに正月に「ちょっとなめてみ」と勧められ、恐る恐るなめたのが最初です。いただきもののいいお酒やったろうに、「うぇ」という感じでした。

 弟子入り後はカバン持ちしてましたけど、お茶屋さんに行っても「車の中で待ってろ」じゃなくて、ちゃんと上げてくれました。僕だけじゃなく、他の弟子にも同じで、米朝一門は古き良き日本のぜいたくな飲み方を見せてもらっていました。

 師匠はお稽古ではキセルをたばこ盆にコツーンと叩きつけて、「なんで覚えられへんねん、おまえは!!」と厳しいのに終わったら、人が変わるんですよ。楽しいお酒で冗舌になって、チャリ舞を踊ったりね。飲ませ上手でもあって「行きまひょ、行きまひょ」とついで回る。弟子の僕にも。そんなんやから、下戸の人でも米朝と一緒にいたら半年で飲めるようになっていました。

 晩年、脳梗塞を発症して要介護状態になってからも夜、自分でヨチヨチ歩いて台所から一升瓶を出してきて、「ちょっと、これいこか」言うて、自分で瓶のツメを開けて飲んでいました。

■サシで飲んだ時はほとんどが芸談

 サシで飲んだこともあります。師匠と弟子の飲みという感じで、ほとんどは芸談。あの落語のあそこはこうや、ああやと。説教ではないんです。噺をきかせるための細かいポイントを話してくれる。あと、昔話ですね。先代の○○師匠はこんな話をしてはったとか。

 親子らしい会話といえば大学に入った時、「おまえ、乗馬部に入らへんか。乗馬ってなかなかオシャレでええで」と。自分がやりたかったんでしょうね。でも、体験入部しただけでした。それで2年生の時に枝雀・ざこばのお兄さまおふたりに背中を押されるようにして入門しました。今思うと自分は噺家にならないと、という使命感があって全然違う方向へは行きたくなかったんやと思いますね。

【関連記事】

  • 小日向文世さん“至福の時”はメダカを眺めながらウイスキー
  • 榎木孝明さん小5で酒デビュー “大人のジュース”をひと口…
  • 芋焼酎がトラウマに…女優・柴田理恵さんの酒エピソード
  • 山本譲二さん語る 前川清邸での痛恨“ウォシュレット事件”
  • 部屋では“LA風” 野呂佳代さんの酒飲みスタイルは変化自在
稽古