元大食い女王・赤阪尊子さん 還暦を越えて“食欲”に変化が

右は「大食い選手権」の司会を努めた中村ゆうじさんと(95年)/(C)日刊ゲンダイ

【あの人は今こうしている】

 テレビ東京系の人気番組「元祖!大食い王決定戦」には数々の女性フードファイターが登場し話題となった。本日登場の赤阪尊子さん(63)もそのひとり。男勝りの見事な食いっぷりで“女王”と呼ばれたものだ。さて、今どうしているのか?

  ◇  ◇  ◇

「だんじり祭」で知られる大阪府岸和田市。赤阪さんと待ち合わせたのはJR東岸和田駅そば、セルフタイプの和風レストランだった。

「自宅のそばやから、よく来るんです。普段は自炊やけど、気軽に外食っていうとココなのよ」

 ランチを食べながらの取材となったが、あれれ? 赤阪さん、サケとイクラの親子丼並盛りに味噌汁、おでん2個しか取らない。それは前菜?

「今はこれで十分。さすがに還暦を越えてるから10杯も20杯も食べられへん」

 お馴染みのドングリ眼を細め、人の良さそうな表情。見るからに大阪のオバちゃんだ。

「そうでしょ。ちょっと食べる量が多かっただけなのよ。アハハハ」

 いやいや、“ちょっと”でしたっけ? すぐに思い浮かぶだけでも、30分で寿司62皿、わんこそば470杯、寿司細巻き6メートル……。

「普通サイズのシュークリームを5分で100個って記録もありますよ。スイーツ系なら、2000年の『早食い世界一決定戦 in NY』。7キロのホールケーキを私だけが完食したのも懐かしいわあ。その時はトータルで3位やった」

 参りました。ところで、今は何を?

「89歳になる母の面倒を見てます。少し前まで生命保険のセールスレディーをしてたんやけど介護のために辞めました。収入? 母の年金と所有する一戸建ての賃貸料・月7万円が全て。不足分は貯金を崩しながらなので贅沢はできません」

 テレビの方は?

「時々、テレビ東京さんからオファーが来ますが、もちろん選手としてではなく見届け人。もう競争してまで食べようとは思いませんわ。若いフードファイターたちを応援する側です」

■生保レディー時代はお昼だけでも米5合

 さて、赤阪さんが生まれたのは、1955年2月25日。実家は市内で新聞販売店を経営しており、食べ盛りの配達員とともに食卓を囲んだのが大食いのきっかけだった。

「中学の時、すでに1日5食やった。せやないとお腹が減って、夜眠られへんかったんです」

 高校卒業後、20歳まで大阪市内でOLをした後、家業の事務員に。だが、33歳の時に廃業したため、生命保険会社に入社した。

「お昼だけでも5合くらいご飯食べてたんよ。そんな姿を同僚に見せられへんから、昼になると帰宅してました」

 転機となったのは94年。当時39歳だった赤阪さんはテレビ東京(関西はテレビ大阪)のバラエティー番組「TVチャンピオン」が年に1回開催していた「全国大食い選手権」の第4回大会にエントリーし、初出場で優勝を果たした。

「それからは放映のたびにオファー。うれしかったですね」

 95年の「お正月スーパーバトル 第2回世界大食い選手権」でMVPを獲得したのをはじめ、96年の「食初め全国大食い選手権」、97年の「第3回甘味大食い女王選手権」などで4年連続優勝。他の選手権でも準優勝を飾り、「女王」の称号をほしいままにした。

「でも、ギャラは安かったですよ。交通費こそ出ましたが、1回1万円とか3000円。収録は関西以外なんで、移動の労力を考えたら全くのボランティア。でも負けず嫌いやから、声をかけられたら出たなるんです。テレビって一種の麻薬よね。アハハハ」

 高額のギャラは、もっぱら大食いイベントのゲスト。ピンキリだが、1回30万円のこともあったそうだ。

「そうかいうて、保険の契約に有利になったワケやないですね。世の中、甘くはありません」

 もちろん「大食い」出場が縁で友人も増えた。

「ジャイアント白田さん、魔女菅原さんら歴代王者と親しくなったのも財産。オーストラリアやニューヨークにまで行けたんですから感謝しかありませんね」

 未婚。母と2人暮らしだ。

(取材・文=高鍬真之)

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元大食い女王