「謝ったら死ぬ病」という現代の社会病理

10/11(木) 21:12配信

 最近身近なところで「謝ったら死ぬ病」に罹患している人を見かけます。

 どこかの出版社の社長さん、筋の悪い方策に拘泥して自縄自縛となりさんざんネットで暴れた挙句、自分で吐いた唾を全量飲み干している姿を見ると涙で液晶画面が見えなくなります。

【著者】山本一郎のプロフィール

日大アメフト部の謝罪 ©AFLO

気づいたときに試される

 あ、間違ってるのにそのまま突っ走っていったぞ、と第三者が勝手にやらかしてコケて大炎上するのは、普通に見ていて面白いわけなんですが、これがうっかり政府がらみだったとか、業界全体の浮沈や存亡が問われるとか、そういういろんな人を巻き込むような話だと「あっ、どうしようもないトップが、またくだらない意志決定をしているのか。止めなくては」となるのが人情です。もちろん、局面局面で指さして笑うお作法もあります。馬鹿に権限を持たせるとロクなことにならないのは、先の大戦で日本人が命を代償にして学んだことだったはずなのですが。

 その一方、別の出版社では過激な国粋思想の記事を掲載して燃えたあとで、自社の別媒体で自己批判がなされてて、これはこれで健全だなと思ったわけです。「まずいな」とか「しまった」などと思ったら、パッと謝ってしまえと簡単に言うのは問題だけれど、問題は問題と気づいたときにどう対処するのかでその人物や組織の器の大きさが試される、という部分はあるのかもしれません。そして、往々にして思い込みや被害妄想の強いトップは、人の意見を聞き入れる以前に自分自身の中で自家撞着に陥ってしまうこともまた、多いのです。

昨今の政治と「ああ、やっちまったな」

 物事は、すぐに結果が出ることばかりではありません。経営でも建築でもコンテンツ開発でも、何か目標を設定し、取り組んでいく過程では外野の声が大きく聞こえることは確かにあるでしょう。夏に鳴く蝉のように、当事者ではない人たちが横から「それは失敗だ」「どうせうまくいかない」と半笑いで揶揄して来て仕事の邪魔をすることは往々にしてあり、それでも折れない心で立ち向かう人こそが、物事を完成に導くことができる側面はあります。気持ちの強さもトップに必要な要件であることは間違いないのです。

 ただし、それは正しい努力をしている、間違いのない道のりを歩いている場合のみです。他人からの批判を受けながらも、結局は作り上げるのは自分です。「途中だけ見ていると文句をつけたくなるけど、完成してみたら良い出来だった」という結果が得られることは往々にしてあります。自分の仕事にこだわりを持ち、他人からの横やりにめげずやり遂げるのも必要だし、その辺は機微なんだろうなあと思います。

 昨今、政治が抱えるさまざまな政策審議で起きている事件の数々は、この手の問題意識の集大成とでもいえるものばかりです。何しろ、どの事件、事案も、外野から見て「ああ、やっちまったな」という内容ばっかりなんですよね。文科大臣が記者会見で定番の質問に乗せられて教育勅語の必要性について語り、通信ブロッキングは問題山積の状況を正面突破しようとしてにっちもさっちもいかなくなり、科学技術政策担当大臣がEM菌推進議連にいたりする。沖縄県知事選では野党が支持する玉城デニーさんが勝ち、ようやく移転した豊洲市場ではいまだに築地万歳のネタも沢山乱舞しています。何より肝心のアベノミクスも、いまやこれを評価して推進しようというまともな経済学者は本当にひとりもいなくなりました。本当に、ひとりも賛同者がいないと言える状況です。ヤバイと思うんですよ。そんな経済政策を堂々と推し進める政権って、さすがにちょっと危なくないですか。

次ページは:失敗の積み重ねがもたらすもの

1/3ページ

【関連記事】

  • 「湿気がひどくてマグロにカビが生える」開場目前の豊洲市場に不安の声が高まる
  • パワハラも横行 “スルガ銀行のドン”優雅な雲隠れ生活
  • 活躍できなかった40代、50代が「活躍する若者」にできること
  • “憲法違反“な官邸「マンガ海賊版対策」の雑さ加減
  • 自殺した農業アイドルの大本萌景さん(16)母は「娘の死を無かったことにしないで」
文春オンライン