故・マサ斉藤さんの意外なエピソード 「おうちでは『まさのりちゃん』と呼ばれて…」

武藤さんのツイッターより

 元プロレスラーのマサ斎藤さんの訃報に、後輩レスラーたちが次々とコメントを寄せている。

 アントニオ猪木さんと巌流島決戦など数々のインパクトを残してきたマサ斎藤さんの「先輩」としての一面が語られた。

■「プロレスラーとは」「漢とは」

 マサ斎藤さんが2018年7月14日に亡くなったと、所属事務所が16日に発表した。

 衆院議員で、元文部科学大臣の馳浩さんは16日のブログ更新で、生前の斎藤さんとの思い出を綴った。1985年、馳さんが星稜高校の教師をやめて当時のジャパンプロレスに入った際から面倒を見てもらっていた。プライベートでの思い出では、

  「いつも道場近くのスナック≪鶴≫で豪快にビールを飲みながら(それも必ずラッパ飲み)」

と、豪快なエピソードを披露した。

 「プロレスラーとは」、「漢とは」、「人生をどう生きるか」と斎藤さんから教わったという馳さんは、

  「学校では決して教えてはくれない漢の生きざまを語ってくださった」
  「もう、その全てが憧れだった」

と明かした。

 馳さんは続いて、「意外と自宅に帰るとご両親から大切に育てられていて、都市伝説の類なのだがこんなエピソードも」とした上で、こんな話も披露した。

  「おうちでは、『まさのりちゃん』と呼ばれていてその話を聞いてみんなでずっこけた話とかも」

 斎藤さんと馳さんは、同じ元オリンピアン。馳さんは91年に猪木さんへの対戦権をかけてタイガー・ジェット・サンさんと巌流島で対決し、この時の立会人を斎藤さんが務めた。

 最後に公私にわたり、思い出の尽きない、馳さんは、「規格外の人生。不世出のプロレスラー。早過ぎる。マサさん、ありがとうございました」とし、

  「≪ゴーフォーブロック≫当たって砕けろ人生、万歳」

と、斎藤さんの話題を締めた。

佐々木健介さん「感謝以外の言葉は見つかりません」

 斎藤さんがトレーナーを務め、ジャパンプロレスの入門当時の居候相手だったという佐々木健介さんは17日にブログを更新した。馳さんと異なり言葉少なに思いをぶつけた。

 「俺のオヤジ」と題したブログは、かつての斎藤さんと佐々木さんの写真が2枚貼られている。1枚目はバルコニーでプールをバックに笑顔で並ぶ写真。2枚目はアームレスリングをする2人の捉えたものだ。

 写真の後に、大きめの文字で、こう締めた。

  「感謝以外の言葉は見つかりません」
  「本当にありがとうございました!」

 斎藤さんは05年、佐々木さんの個人事務所である「健介オフィス」にスーパーバイザーとして入った。

 16年に大阪で行われた興行で斎藤さんがリング復帰した際に、サプライズ登場した新日本プロレス時代の後輩である武藤敬司さんは「尊敬するマサ斎藤さんが亡くなられた」とツイッターに投稿。斎藤さんと同じく、アメリカ進出経験がある武藤さんにとって「一番話が合う大先輩だった」という。

  「豪傑な中に繊細な心を持ったマサさんは、とてもチャーミングな方だった。お元気になられたらマスターズにもお声掛けしようと思っていただけに...悲しい」

と惜しんだ。

 若き日の武藤さんが青いチェックのシャツを着た斎藤さんのツーショットも投稿された。

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