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あの童謡は亡くなった子供の魂をなぐさめるために生まれた?童謡にまつわる都市伝説

 昔から子供たちの間で歌われ続けている童謡には、どこか物悲しい雰囲気や暗い内容を伺わせるものが多い。

 例えば有名な「しゃぼん玉」の歌には、以下のような都市伝説が存在している。

「このしゃぼん玉の歌は、魂の歌である。つまり、幼くして死んだ子供の魂がしゃんぼん玉という、はかないものに表現されているのだ」

「しゃぼん玉は、子供を意味しており、『屋根まで飛んで、壊れて消えた♪』という歌詞は中絶、あるいは子供の死を意味している」

 この不気味な都市伝説、実はまんざら嘘ではない。野口雨情は、この「しゃぼん玉」という名曲に、幼子の鎮魂の想いを込めている。

 ではなぜ、雨情は子供たちにささげる童謡に悲しみを織り込んだのであろうか。それは、亡くしてしまった実子への鎮魂歌であったと言われている。雨情の娘は、生まれてまもなく亡くなっているのだ。

 雨情は、童謡の歌声を天国にいる娘に届けたかったのだろう。子を亡くした雨情は、天国の娘のために、ただひたすらに童謡を作り続けたのである。そして、雨情の娘の魂は、しゃぼん玉になって淡く悲しく消えたのである。

 同様に、女の子の死と鎮魂を願った歌に「赤い靴」がある。この歌は、赤い靴を履いた女の子が異人さんに連れられて、海外に行ってしまう悲しい歌詞となっている。だが、実際にこの歌のモデルとなった女の子は日本で病気のため亡くなっている。

 この真相が明らかになったのは、昭和48年 (1973年)11月、北海道新聞の夕刊に岡そのさんという人が「赤い靴の少女は、会った事のない私の姉である」と投稿した事による。この投稿に興味を覚えた北海道テレビの記者・菊地寛氏の調査により、その真相が明らかになった。

 岡さんの両親は北海道の開拓地に入植する事になるが、困難な開拓地での生活を懸念し、3才の娘をアメリカ人宣教師の養子に出す。だが、その女の子は、渡米直前結核に倒れ、孤児院に預けられ、明治44年9月15日に死亡する。この事を岡さんの両親は知らず、最後までアメリカで娘が幸せに暮らしていると思いこんでいたという。この話を岡さんの父親から聞いて歌を作ったのが、雨情である。なんと、「しゃぼん玉」に続き、「赤い靴の少女」も雨情の歌だったのだ。彼はよほど、少女の死に敏感であったのだろう。

 現在、赤い靴の少女が死亡した孤児院のあった麻布十番には、赤い靴の女の子の銅像がある。ある意味、都市伝説より事実の方が凄い事もあるようだ。

監修:山口敏太郎事務所 </span>

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