宮川大助・花子、紫綬褒章を受章「感動しています」

 平成29年秋の褒章受章者の発表が11月2日に行なわれ、夫婦漫才コンビの宮川大助・花子が紫綬褒章受章者に選ばれた。

【写真】金屏風の前で会見を行った宮川大助・花子

 紫綬褒章とは、日本政府から学術、芸術、技術開発などの功労者に授与される褒章。1979年2月に結成した宮川大助・花子は、夫婦漫才に新たなスタイルを打ち出したという点で功績が称された。

 発表に先立ち、大阪市内のホテルで会見を行い、大助・花子が紫綬褒章受章の喜びを語った。「今年はとくに、大助・花子にとって激動の1年といっても過言ではない、大変な1年でした」と花子は振り返る。今年3月に、大助が腰部脊柱管狭窄症のためにより手術。さらに5月には感染症による2度目の手術。続いて6月にグラム陽性菌敗血症により3度目の入院。9月になんばグランド花月にて舞台復帰を果たしたが、花子は「最初、紫綬褒“しょう”と聞いたとき、また新しい感染“しょう”になってしまったのかな?と思ってしまいました。こんなに素晴らしい章をいただけると思っておりませんでした。本当にありがとうございました」と感無量の表情。

 すでに感極まって唇を固く結んだ大助は「感動しています」とひと言。「自分たちは、漫才大賞や新人賞、努力賞など、そういった目の前のレースが賞だと思っていました。だから、まさかこういう形のものをいただけるとは、本当に思いもよらなかったことです。1番、最初に顔が浮かんだのは、自分を産み育ててくれた親と、小学校のときの担任の先生です。僕は子どもの頃はいたずらばかりしていて、いくら悪いことをしても抱っこしてくれ、怒らなかった。その先生方の顔が浮かびました。そして吉本をはじめ、自分の師匠、友だち、仲間、先輩、両親、本当に、すべてのよき人たちに守られてきたなと感じます。みなさまに僕らは育てていただいたんだろうなと感謝しました。本当にありがとうございます」と話し、うっすらと涙を溜めた。

 そんな2人の転機は1988年の花子の胃がんが発覚だ。「女房が胃がんをやったあたりから、夫婦のあり方、夫婦の良さを考え出しました。『うちも、大ちゃん花ちゃんところの夫婦みたいやってよく言われるねん』と言われるのが1番うれしいです。そういう形の夫婦円満さを、世間の人たちに知ってもらい、『あんな夫婦いいな』と思ってもらえるのが目標でした。僕らは漫才がへたくそで出発したものですから、殴り合いするほどけいこしないとついていけないのが現実でした。だから、それでも子どもを育てながらがんばったうちの奥さんに『おめでとう』と言ってあげたいです」と、妻への感謝を口にし始めると大助は止まらなかった。

 そんな大助に花子は「今、大助くんに言われる前に、私は大助くんに言おうと思っていた言葉があるんです。今回、受章した理由をマネージャーに聞いたら『夫婦漫才です』と答えが返ってきました。いつか、夫に本当に言わなあかんなと思っていた言葉を、この場を借りて言わせていただこうと思います」と切り出すと「漫才に誘っていただいて、本当にありがとうございました」。思わぬ言葉に大助は号泣。あふれる涙は止まらなかった。

 続けて花子は、これまで抱いていた自分の想いを明かした。「夫が『漫才しよう』と言ったときから、ずっと私は『いつか辞めよう』と思っていました」と驚きの告白をした。「自分が病気になり、そのときに『辞められるかな』と思ったけど、お客さんが待っていてくださり、会社の支援もあり、すぐ復帰の舞台も用意してくださり、『辞める』という言葉が出せませんでした。そして10年前の2007年2月に夫が倒れたとき『これで漫才は終わったけど、夫婦の生活が始まるんだな』と思って病院に行ったとき、夫が『いや、違う。ひとりで舞台立ってくれ』と言いました。私は1人で舞台に立たせていただきました。そして今回、夫が倒れたときにみんなに、こう言われたんです。『大助が、ずっと選んできた漫才の道やから、花子1人だけでもセンターマイクをあたためておけよ。それをすることで、大助が戻れるんだから』」。

 そんな気丈な花子も、深く落ち込んだことがあった。「五木ひろし座長の新歌舞伎座で『夫婦善哉』に出演した時、ひとりで着物を着るときに『夫が入院してるのに、私は何をしているんやろう』とずっと落ち込んでいました。今年前半から秋口にかけては『もうアカン』と思っていました。それが、こういう大きなご褒美を頂戴することができて…。これは、『文化庁芸術選奨』をいただいた時に私が大助にかけた言葉なんですが、もう一度、大きな声でかけたいです。『漫才に誘ってくれてありがとう。そして、この私をどこまで大きくしてくれるねん』」と感謝の言葉は尽きなかった。

 また、「僕は一度、嫁さんに離婚届を出されたこともあるんです」と明かす。「僕がハンコ押さなくて。そのとき、2人を止めたのは、子どもの存在もありますが、田舎の親の言葉でした。いつも、帰るたびに親が言うんです。『親の遺言だと思って聞いてほしい。夫婦末長く、いつまでも仲よくな』と。だから、女房が『もしも離婚することになったら、田舎のお父さんとお母さんにどう報告しよう』と。その言葉が、僕の中で夫婦の絆の始まりだったですね」と振り返った。花子に胃ガンが見つかり「僕らのバトルは終わった」。「これではアカン、と。それより親が言ってくれたように、夫婦仲よく。これに勝るものはないんです。それからは、夫婦としてぼちぼち見つめ合うことができました」と述懐した。

 最後に、お互いどのような存在かを尋ねられた。花子は「私は大助のことを漫才の相方と一度も思ったことはありません。常に夫という感じ。舞台でも夫としゃべってるし、家に帰っても夫。そして今も夫です。それと、自分を1番わかってくれている人。“夫婦は史上最強の味方”というのと一緒で、夫は史上最強の味方だと思っています。絶対に助けてくれる。だから、私、彼に裏切られたら生きていかれへんと思う!」と断言。しかし、直後に小さな声で「いや、生きていけるけど」とつぶやき、記者陣を笑わせた。

 一方、大助は「ベストマイワイフです」ときっぱり。「僕が脳卒中になった時、娘の肩を借りながら『意識を全部失うかもしれん。お父さんは、あなたとお母さんに出会えて最高に幸せ。我が人生に一切の悔いなし』と伝えて病院に行きました。その気持ちは今もあります。本当に、子どもと女房には頭が下がります」と語り、またも感激の涙をポロリ。花子から「どんだけ泣くの!」と息ピッタリにツッコまれ、笑いあり、涙ありの会見を締めていた。 </span>

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